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2012年05月02日

中学生の僕にとって神は

僕はクリスチャンホームで生まれ、小さなころから毎日、聖書の話を聞きながら育ちました。だから聖書に書いてあることは本当にあった事で、今も神様は生きておられるということを知っていました。しかし、そのころの自分は、罪といわれても「法律上で悪いことだけが罪」と考えていたので、自分は確実に天国へ行けると思っていました。

6歳の時、寝る前に母がナイチンゲールの伝記を読んでくれたことがありました。そして最後のナイチンゲールが死ぬ時、ハッピーエンドしか受け入れられなかった自分は泣き出してしまいました。そのときに、母が人は誰でも死ぬこと、死んでも罪が赦されていれば、天国に行けることを教えてくれました。そして自分が罪と思っていなかったことも罪なのだと教えられました。自分の中にも、嘘や、神様の前にふさわしくない感情などの罪があることが分かり、今までの自分の罪を悔い改め、神様を信じて生きていけるようにお祈りをしました。そのことを今でも覚えています。それが、自覚的に神様を信じて罪の赦しを祈ったスタートだったと思います。

 9歳のころ、父の病気がどんどん進んでいた時、父は、「洗礼をうけないか?」と僕に言いました。僕は神様を信じていましたが、急だったので自分はまだ神様の前に、みことばを完全に守れていないと思い、「まだ受けられない」という答えを出しました。そして父に理由を聞かれ、「まだ完全に出来ていないから」と言いました。そのとき父は「誰も完全に出来る人はいないよ」と教えてくれました。それから少しずつ洗礼について考えるようになりました。自分では、みことばを守ろうとしても、どうしても守れない弱さがあることを知りました。でもその罪のためにイエス様が十字架で死んで下さったのだと少しずつ分かってきました。

 父がどんなに病気が重くても、僕は「絶対に治る」と信じていました。神様が治して下さると思っていたからです。姉が「両親が結婚して7年経って私が生まれ、それから7年経って道が生まれ、7年経ってお母さんの病気がよくなってきたんだから、お父さんの病気も7年経てば治るよ」と言っていて、僕はその言葉に納得していました。

父の最後の日、まだ僕は治ると思っていました。母と姉が苦しそうな父の前で泣いていました。でも僕は母と姉がなぜ泣いているのか分からずその光景をみつめていました。そして、お医者さんの加藤先生が父の呼吸器を外された時、父が亡くなった事が分かりました。僕はそのとき初めて激しく泣きました。あんなに神様にお祈りしたのに、神様を信じていたのに、という裏切られたような気持ちがこみあげてきました。それから何日かは「なぜこんなめに合わせるのですか?」という祈りばかりでした。

そんな時が長く続きましたが、あるとき、ローマ8章28節「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」というみことばを聞きその意味を考えさせられるようになりました。父が亡くなったのは、神様のご計画の内にあることだと、だんだん思えるようになってきました。そうして、神様をもう一度信頼することができるようになっていきました。

 今、僕は、すべてのことを働かせて益として下さる神様を信頼し、神様に仕えていきたいと思っています。まだ、どのように仕えるか具体的には分かりませんが、神様のお役にたつ生き方をしていきたいと願っています。

中学科
posted by izumi church at 00:00| Comment(0) | 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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